こんにちは!ほしです☆
視覚障害者柔道の男子66kg級に大躍進を続け、東京パラリンピックでの日本代表入りが期待されている瀬戸勇次郎選手。
海外遠征も経験し、ますます成長が止まらない瀬戸勇次郎選手から目が離せません。
この記事では瀬戸勇次郎選手の大学や彼女、障害となった原因について調べてみました。
瀬戸勇次郎のプロフィール
まずは瀬戸勇次郎選手のプロフィールから。
名前:瀬戸 勇次郎(せと ゆうじろう)
生年月日:2000年1月27日
年齢:19歳(2019年7月時点)
身長:169cm
出身地:福岡県 糸島市
柔道する人は身長も高く、横にも縦にも大きいイメージでしたが、瀬戸勇次郎選手は身長169cmと写真で見るよりも小柄なイメージです。
瀬戸勇次郎選手は福岡の糸島市出身なんですね。
糸島と言えば海が綺麗でレジャーとしても、グルメとしても福岡でも有数のスポットです。
4歳から柔道を始めた瀬戸勇次郎選手は市立前原小学校時代まではスポーツ少年団で、前原西中学校・県立修猷館高校では、柔道部に在籍し、健常者の大会に出場していました。
健常者に混じって柔道をしていた?
先ほども書きましたが、高校生までは健常者に混じって柔道をしていた瀬戸勇次郎選手。
瀬戸勇次郎選手は先天的に色覚異常があり、視力は右0.07、左0.05で視力検査では1番上のマーク(0.1)が見えません。
つまり、瀬戸裕次郎選手は事故などで視力をおとしたわけではなく、先天的な視覚障害があったということになります。
実は私たちの周りでも、障害者認定(?)されていないにしてもピンクのネクタイか薄い赤色のネクタイか分からないような色覚異常のかたがいらっしゃいます。
しかし、瀬戸裕次郎選手はその比ではありません。
- 遠くの信号の判別は難しいし、日差しが強いと見えない。
- 授業中も黒板が見えないので単眼教を使う
- 拡大した資料を手元にもらって勉強
このような目がほとんど見えない状態で、健常者と柔道をして怖くなかったのでしょうか??
相手は目見えて、当然ながら柔道の技を練習しまくってる猛者ばかり。
事実、個人戦では全く勝てずに、中学校で3年間柔道に打ち込みますが勝ったのは1回だけ。
高校でも地区大会で負け続けていたため、県大会の経験すらなく柔道を続ける気はなかったんだそうです。
なぜなら、柔道は離れた位置から試合が始まり、組み手争いをして相手の柔道着を掴んで技に入るのですが、瀬戸勇次郎選手は視力があまりにも弱かったため、組み手争いが苦手でかなり不利な状態で戦っていました。
金鷲旗高校大会で、瀬戸勇次郎選手の選手名簿に視覚障害者に関する記述が新聞の記事に載り、関係者の目に止まって全てが変わったんだそうです。
瀬戸勇次郎の大学は?
現在、教職を目指して2018年4月に福岡教育大学に進学した瀬戸勇次郎選手は、特別支援教育教員養成課程中等教育部2年生。
大学では健常者の柔道部と一緒に練習に励んでいます。
実は視覚障害柔道はお互いが組み合ったところから試合が始まるため、苦手だった組み手争いがありません。
そこから、瀬戸勇次郎選手の快進撃は始まります。
組み手争いから解放されましたが、パワー不足を痛感した瀬戸勇次郎選手は、重心を低く保てるように走り込みで足腰の強化、上半身の筋力アップ。
そこに、もともと得意だった一本背負いだけでなく、背負い投げ・体落とし・大外刈りなど、技の種類とキレの強化にも最高。
努力が報われて、視覚障害柔道のレジェンドと言われる藤本恥選手と、最初2敗しましたがその後2連勝し、戦績を2勝2敗の引き分けまでにしました。
瀬戸勇次郎に彼女は?
19歳でパラリンピック代表候補、おそらく体もかなり良い筋肉の付き具合で女子が好きそうです。
瀬戸勇次郎選手は顔もキリッとした目つきをしていて、なかなかのイケメンです。
彼女がいるかどうか調べてみましたが、なにか確信になるようなものは見つかりませんでした。
これから、東京パラリンピックを目指していく身として、今が1番柔道に打ち込まなきゃいけない時ですかね。
しかし、東京パラリンピックの会場の観客席には彼女が応援に来てるなんてことになっていても、なんら不思議はありませんね。
まとめ
瀬戸勇次郎選手の大学や彼女、障害になった原因についてでした。
5月にアゼルバイジャンに遠征に行き、さらにら力をつけてきている瀬戸勇次郎選手が東京パラリンピックで活躍する姿が是非見たいですね!!