バラエティ

八重野充弘が埋蔵金を探している場所は?学歴や経歴・家族も調査!

こんにちは、ほしです☆

50年間、埋蔵金を探し続けることで有名な八重野充弘氏。

今回は11月27日(月)放送の『クレージージャーニー』で八重野充弘氏に密着します。

この記事では

八重野充弘氏が埋蔵金を探している場所

学歴や経歴

家族

などについて調べてみました。

八重野充弘のプロフィール

名前: 八重野充弘(やえの みつひろ)

生年月日: 1947年8月24日

年齢: 76歳(2023年11月時点)

出身地: 熊本県熊本市

職業: 著作家、埋蔵金ハンター

所属: 日本トレジャーハンティング・クラブ代表

八重野充弘氏は現在76歳ですが、年齢を感じさせないくらいのバイタリティで埋蔵金探し(トレジャーハンター)として活動されています。

八重野充弘氏は埋蔵金探しは「億万長者!!イェーイ!!」のためではなく、遊びでやっているということ。

自分にとっては遊び・自然豊かな場所で子供たちにとっては学習や経験のため、八重野充弘氏は日々埋蔵金を探しています。

トレジャーハンティングクラブの会員は、70人以上いるそうです。

ほし
ほし
自分だったら、金勘定してしまうな!

八重野充弘の学歴

八重野充弘氏の学歴は、熊本大学教育学部付属小学校⇒熊本大学教育学部付属中学校⇒熊本県立熊本高等学校を卒業し、高校卒業までは出身地である熊本県で過ごされたことが分かりました。

また、熊本高等学校といえば「熊高(くまたか)」と呼ばれ、熊本で1番頭の良い高校と言っても過言ではありません。

ほし
ほし
熊高に通っている(卒業)というだけで一目置かれる!

高校卒業後は立教大学社会学部に進学されており、幼少期から勉強のできる学生だったことがうかがえます。

八重野充弘の経歴

八重野充弘氏が大学を卒業されてからの経歴を見ていきましょう。

1970年、(株)学習研究社に入社し、主に小学生向け学習雑誌の編集に従事。

1983年には(株)くもん出版に移り、小中学生向けの科学雑誌の編集を担当。

1992年にくもん出版を退職し、作家および科学ジャーナリストとして独立。

1974年には学研時代に天草四郎の財宝伝説を取材し、これが熊本県天草下島での財宝探しのきっかけとなる。

1977年、執筆した『三角池探検記…天草四郎軍の遺宝を求めて』で日本旅行記賞を受賞。

1978年、全国の同好の士を組織して日本トレジャーハンティング・クラブを結成し、代表世話人を務めている。

1983年から1992年までくもん出版で勤務し、子供向けの科学雑誌編集に携わる。

1992年以降は埋蔵金発掘をライフワークとしながら、科学ジャーナリストとして子供を対象とした講演なども行っている。

会社を退職後は埋蔵金ハンターとして、日々活動されているようですね。

老後の生活で埋蔵金ハンターなんてメチャメチャ楽しそう!

八重野充弘が埋蔵金を探している場所

「八重野充弘氏がどこを探しているのか?」

これってメッチャ気になるところですよね。

ほし
ほし
横取りしようとかじゃなくて(汗)

50年の間に、八重野充弘氏は30数カ所の埋蔵金伝説の調査を行い、10カ所以上で発掘作業を実施。

そして、見つけた埋蔵金はなし!!!

ほし
ほし
笑いながら「本当に全くない!」って本人が語ってる!

そして、現在八重野充弘氏が埋蔵金を探している場所は群馬県にある金山(別名:太田金山)!!

12年前に捜索を断念した山ですが、再びこの山の捜索を再開しました。

資料を見直して存在を確証できたのか?

新たな情報が入ってきたのか?

今、八重野充弘氏の中では最も埋蔵金が埋められている可能性が高い場所ということになります。

ほし
ほし
理由もクレイジージャーニーで語られるかもね!

八重野充弘も家族は?

埋蔵金ハンターをされている八重野充弘氏には、ご家族はいらっしゃるのでしょうか?

「ここには30年ほど前から来ています。当時、探索に連れてきていた中学生の息子も今は40歳を過ぎました」

2021年12月のインタビューでこのように話しておられます。

お子さんは40代の息子さんがいらっしゃることが確定し、奥さんもいらっしゃることでしょう。

まとめ

八重野充弘氏が埋蔵金を探している場所・学歴や経歴・家族についてでした。

50年間、埋蔵金は見つかっておらずとも「一歩一歩近づいている」と話す八重野充弘氏。

私も埋蔵金があるなら見てみたいし、その発見者はできることなら八重野充弘氏であってほしいと思っています。