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吉永拓哉(激レアさん)が暴走族から敏腕新聞記者になった経歴やきっかけ

2018年1発目の『激レアさんをつれてきた。』は少年院で反省文を書きすぎて、敏腕記者になった元暴走族のタクヤさん。

 

どんなミラクルストーリーがあったのでしょうか。

 

ビビリヤンキー参上

福岡県で中学生からバリバリヤンキーだったタクヤさん。中学卒業後は高校に通わず「鬼姫」という暴走族に。

そして、タクヤさんの特技はバイクの塗装。誰もが憧れるキレイな塗装でヤン車を塗っていたんです。

 

18歳で族の副総長となりモテモテだったことから『玄界灘のキムタク』と呼ばれるように。

副総長ならケンカ三昧のようなイメージですが、タクヤさんはビビリの目立ちたがり屋。副総長はリスクなく威張れるポジションだったことから、ビビりで目立ちたがりのタクヤさんにピッタリ。

 

ケンカも皆がケンカしてるのをバイクから見学して、勝てそうならバイクから降りてケンカに参加というビビリぶり。

そして、暴走族のケンカが原因で少年院へ。

 

少年院で反省文まみれ

少年院の生活は厳しく

①返事の「ハイ」は爆音で
②疲れるの禁止
③私語・よそ見禁止

これらを違反すれば、罰があります。

 

過去の悪事を猛烈に反省しているタクヤさんですが、少年院で毎日出される日記や作文のテーマに沿った文章が全然書けません。

それどころか、カッコつけたいがために、禁止事項を破りまくって反省していても反省してないフリをします。

 

ただでさえ文章が書けないのに、昼食の時間や皆が作業している時間も反省文を書くハメに。

 

しかし、これが新聞記者への才能を開花させます。

 

①表眼力アップ
空白を埋めるために天気やご飯を細かく表現した

②集中力アップ
単独房で半日反省文を書くことで集中していった。

③構成力アップ
教官の気持ちを揺さぶる作文を書いていった。この頃に起承転結を意識してかけるようになる。

 

数えられないくらい反省文を書いたことで、稿2〜3行しか書けなかった文章が原稿用紙4〜5枚余裕で書けるように。

 

でも、これで新聞記者になれるかと言うとそうではありません。実はこの後、敏腕新聞記者になるための④と⑤の才能が開花します。

 

南米生活で最強記者に

少年院から出てきたタクヤさんは、お父さんに勉強のために南米に渡ることになります。

まずはエクアドルに行き、40年前にジャングルを開拓してバナナ園を営んでいるハンザワさんの元に。

 

バナナ園で働かせてもらっているうちに、ハンザワさんの生き様に刺激されたタクヤさんは南米の日本人移住者を訪ねながら旅をします。

ここで移民への興味から④ビビらない行動力を手に入れます。

 

また、旅の途中で地元民でも行かないディープで危ない場所にも。

そこで人との距離感や身を守る方法を学び、現地との怖い人との会話から⑤コミュニケーション能力がアップします。

 

移民の人たちと触れ合いながら、「こんな偉大な人たちを誰も知らないのではないか?みんなに知ってほしい。」と思うように。

 

最終目的地のブラジルに辿り着いたタクヤさんは、新聞記者の求人を見つけてサンパウロ新聞に入社。

ブラジルの地で新聞記者となり、独自のツテで移住した日本人を取材しまくりエース記者として活躍します。

 

日本に帰国した後は『サンパウロ新聞社 福岡支局長』になっただけではなく、非行に走った子供の更生にも尽力されています。

 

まとめ

まさかの少年院で反省文を書きまくったことで、敏腕新聞記者になったタクヤさんでした。

日本で新聞記者になったかと思いきや、まさかの遠いブラジルの地で新聞記者になっていましたね。

反省文も書いてみるもんかもしれませんね(笑)