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井坂俊介(パラ陸上)の大学や所属は?結婚や父親についても

こんにちは!ほしです☆

パラ陸上短距離界に約1年で100mのアジアチャンピオンにまで上り詰めた井谷俊介選手。

 

その言葉の通り、彗星の如く現れた井谷俊介選手は東京オリンピックでのメダル獲得が大いに期待されています。

この記事では井谷俊介選手の大学や所属、結婚や父親について調べてみました。

 

井谷俊介のプロフィール

まずは井谷俊介選手のプロフィールから。

名前:井谷俊介(いたに しゅんすけ)

生年月日:1995年4月2日

年齢:24歳(2020年2月時点)

出身地:三重県 尾鷲市

身長:180cm

体重:73kg

所属:SMBC日興証券

クラス:T64(片足義足)

 

以前はネッツトヨタ東京に所属していましたが、今はSMBC日興証券株式会社所属になっています。

また、ワタナベエンターテイメントに所属しているので、テレビ出演などを請け負っているのかなと。

ほし
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ジャンクスポーツとか出演する時は。

 

井谷俊介選手はかなりのスポーツマンで、小学校4年生から野球・剣道・レーシングカートをやっていました。

しかし、3つ全てのスポーツに全力で情熱を注ぐことが難しくなります。

ほし
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小・中学生には特に難しかったかも。

 

特にレーシングカートは資金面的にも大きな負担になるため、諦めざる得ないことに。

サーキットでの整備など違う形で車と関わっていくものの、車の免許を取ったと同時にカーレースへの想いが蘇ってきます。

ほし
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もしかしたら、1番好きだったのかも。

 

大学時代には草レースで、TOYOTAのヴィッツを改造して耐久レースにも参加。

1度は諦めた『カーレーサーになる』という夢を見るようになっていきます。

 

車ってのは改造しようと思えば、お金をつぎ込もうと思えばいくらでもつぎ込めてしまうものです。

耐久レースに出るくらいの車に仕上げようとすればいくらかかったことでしょう。

 

しかし、お金がいくらかかろうと井谷俊介選手は、カーレースを心から楽しんでいたことが分かりますね。

ほし
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大学時代はバイト三昧だったのかも。

 

大学時代に事故

愛知県の東海学園大学に在学中の2016年2月、バイクで信号待ちをしていたところに車が突っ込んできて衝突。

右ひざ下を切断しなければならない重傷を負います。

ほし
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井谷俊介選手、何も悪くないやん。

 

最初は「足を切断する」ということが自分の事として受け止めきれず、頭の中が真っ白になっていた井谷俊介選手。

しかし、足は壊死してきており、痛みは日に日にひどくなって、その苦痛は耐え難いもので時間もない。

 

そんな中、主治医に「義足でもスポーツはできる」と言われ、足の切断に踏み切ります。

ただ、この時は膝から下がなくなる恐怖で涙が出たそうです。

ほし
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こんなん、自分なら耐えられん!!

 

アジアチャンピオンへ

退院してすぐの2016年4月、老若男女問わずに義足の人たちが集まって走るコミュニティに参加して、走らせてもらった井谷俊介選手。

2016年はちょうどリオオリンピック・パラリンピックが開催された年で、「自分がパラリンピックに出たらみんな喜んでくれるかな?」と考えたりしたそうで。

ほし
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すぐに切り替えられてるところが1番すごい。

 

そして、2018年の1月から本格的にトレーニングを開始。

【主な戦績がコチラ】

2018年:インドネシア2018アジアパラ競技大会 100m優勝

2019年:日本パラ陸上競技選手権大会100m優勝

2019年:世界パラ陸上競技選手権大会 100m8位・200m7位

 

なんと、デビュー戦で優勝!!

その後も、アジア記録をマークして競技を始めてから約1年でアジアのチャンピオンに君臨します。

 

アジアチャンピオンになるまでのスピードが尋常じゃないため、井谷俊介選手のことを面白く思わない同競技者もいたとか。

ほし
ほし
出る杭は打たれるかな。

 

井谷俊介は結婚してる?

井谷俊介選手は24歳で、結婚しててもおかしくない年齢です。

しかし、まだ独身のようですね。

 

彼女の存在も気になるところですが、今のところいないようです。

ただ、ロングヘアの長身女性が好みとのことです。

ほし
ほし
タイプで言えば黒木メイサとか綾瀬はるかとかかな?

 

井谷俊介の父親って?

井谷俊介選手のことを調べていると『父親』ってキーワードが出てきます。

「これは、井谷俊介選手の父親も凄い陸上選手だったとか?」と思い調べてみると、どうやら大恩人のことを父親のように慕っているということらしいのです。

 

その人物は、プロレーシングドライバーの脇阪寿一さん。

 

脇坂寿一さんにパラリンピックに出たいという想いを伝えてから、色々と話して多くのことを学ばせてもらったんだとか。

そして、今は『東京の父』というほど慕っているんだそうです。

 

この脇阪さんとの出会いから、沖田健トレーナーにも出会えたんだとか。

 

まとめ

東京パラリンピック短距離でメダルの期待がかかる、井谷俊介選手についてでした。

約1年でアジアチャンピオンになるほどの実力者。

数ヶ月後の東京パラリンピックでは、表彰台の真ん中に立ってるかも。